高金利と、地理的に米国の隣という立地。この二つを武器に、メキシコペソ(MXN)は新興国通貨のなかでも比較的「安定した高金利通貨」として扱われてきました。ところが、その歴史をさかのぼると、ペソには一夜にして価値が半分になった過去があります。1994年末に始まった、通称「テキーラ危機」です。

この記事は、そのテキーラ危機を振り返るものです。ペソという通貨の魅力とリスクの両面はメキシコペソ(MXN)とは?で解説しましたが、今回はその「実例編」。ペソにとって最大の生命線であり、同時に最大の弱点でもある「対米連動」が、最悪の形で牙をむいたのがこの危機でした。過去にどんな崩れ方をしたのかを知っておくと、いま起きているニュースの重みも測りやすくなります。

まず大前提:1994年のペソは「固定された通貨」だった

いまのペソは、市場の需給で日々レートが動く変動相場制です。しかし危機当時のメキシコは、そうではありませんでした。

1994年のメキシコは、ペソの対ドルレートを一定の範囲内に収める「クローリング・ペッグ」と呼ばれる管理相場制を採っていました。ドルに対してペソが動ける幅をあらかじめ決めておき、そこから外れそうになると中央銀行が為替介入で押しとどめる、という仕組みです。この「ドルに固定に近い」状態が、当時のメキシコにとって、インフレを抑え込み、海外からの投資を呼び込むための看板になっていました。

ポイントは、この固定こそが危機の火種になったという点です。固定を守るためには、中央銀行が手持ちのドル(外貨準備)を取り崩して介入し続けなければなりません。市場が「このレートは高すぎる(ペソは実力以上に強く固定されている)」と疑い始めた瞬間、固定相場は一気に崩れる宿命を抱えていました。

危機前夜:1994年に積み上がっていたもの

テキーラ危機は、ある日突然ふってわいたわけではありません。1994年という一年をかけて、いくつもの火種が静かに積み上がっていきました。

期待:NAFTA発効の高揚感

1994年1月1日、メキシコは米国・カナダとのあいだでNAFTA(北米自由貿易協定)を発効させました。「これでメキシコは先進国の仲間入りだ」という高揚感が世界中の投資家に広がり、海外マネーがメキシコへ一気に流れ込みます。ペソ高・株高がもてはやされ、楽観がふくらんでいきました。この「対米連動=繁栄の約束」という楽観こそが、のちの反動を大きくする土台になります。

弱点:経常赤字と「テソボノス」

しかしその裏で、メキシコは構造的な弱さを抱えていました。輸入が輸出を大きく上回る経常赤字が膨らみ、それを海外からの短期資金で埋め合わせる、危うい構造になっていたのです。

ここで登場するのが「テソボノス(tesobonos)」です。これは、ペソ建てでありながら、償還額が米ドルの価値に連動する短期国債でした。政府は、ペソ不安におびえる投資家をつなぎとめるために、この「実質ドル建て」の債券を大量に発行します。テソボノスの発行残高は、1993年の18億ドル相当から、1994年には161億ドル相当へと急膨張しました。目先の資金は集まりましたが、これは「ドルで返さなければならない借金」を自ら積み上げる行為でもありました。この点は、のちに致命傷になります。

動揺:相次いだ政治ショック

そこへ、信認を揺さぶる政治的な事件が続きます。NAFTA発効と同じ1994年1月1日、南部チアパス州でサパティスタの武装蜂起が発生。さらに3月には、与党PRIの次期大統領候補ルイス・ドナルド・コロシオ氏が遊説中に暗殺されました。「安定した投資先」という看板に、次々と傷がつきます。海外投資家は少しずつ、しかし確実に、メキシコから資金を引き上げ始めました。固定相場を守るための外貨準備は、この一年で目に見えて細っていったのです。

何が起きたか:1994年12月の崩壊

こうして限界まで張りつめた糸が、1994年12月、ついに切れます。

12月1日に就任したばかりのエルネスト・セディージョ新政権は、もはや従来のレートを維持できないと判断し、12月20日、固定相場の切り下げに踏み切りました。具体的には、前述したクローリング・ペッグで定めていた「ペソが動ける幅(トレーディングバンド)」のペソ安側の上限を引き上げ、約15%分、ペソが安く動けるようにしたのです。それまで「1ドル=ここまで」と決められていた天井を一段ゆるめた、という操作にあたります。これは「小幅な調整」で市場を落ち着かせる狙いでした。

ところが、効果は正反対でした。「政府はもう固定を守れない」と悟った投資家が、我先にとペソを投げ売りします。切り下げからわずか数日で、政府は固定を放棄してペソを完全な変動相場へと移行させざるを得なくなり、ペソは坂道を転げ落ちました。1995年の初めまでに、ペソは対ドルで50%以上も価値を失います。1ドル=3.4ペソ前後だった水準が、一時7ペソ近辺まで暴落した計算です。前政権(サリナス政権)が築いた「安定の看板」は、政権交代直後の数週間で吹き飛びました。

テソボノスの罠:暴落を加速させた悪循環

この暴落を、単なる急落から「危機」へと変えたのが、先ほどのテソボノスでした。

思い出してほしいのは、テソボノスが「ドルの価値に連動する借金」だったという点です。ペソが暴落すると、同じ額のドルを返すために必要なペソは急増します。つまり、ペソが下がれば下がるほど、政府が返さなければならない借金は自動的に膨れ上がる構造でした。

投資家はこう考えます。「償還されたペソを、すぐにドルへ換えて国外へ逃がそう」。テソボノスの償還で受け取ったペソが次々とドル買いに回り、それがさらなるペソ安を呼ぶ。ペソ安がテソボノスの返済額をまた膨らませる――。下落が下落を呼ぶ悪循環に、メキシコは飲み込まれていきました。目先の安心のために発行した「実質ドル建て」の借金が、危機の増幅装置として逆回転したのです。

米国の緊急支援と、1995年の深い傷

自力での収拾が不可能になったメキシコを救ったのは、またしても「隣」でした。

1995年、米国のクリントン政権が主導し、IMF(国際通貨基金)やBIS(国際決済銀行)などと合わせて、総額およそ500億ドル規模の国際支援パッケージが組まれます。内訳は、米財務省の緊急基金、IMFによる178億ドルの融資、BISの約100億ドルなどでした。メキシコは対米連動のリスクで沈み、そして対米連動の後ろ盾で救われた、という皮肉な構図です。

しかし、傷は深く残りました。資本流出を止めるために金利は急騰し、借入コストの跳ね上がりが景気を直撃。銀行の不良債権が膨れ上がって金融システムは麻痺状態に陥りました。1995年のメキシコ経済は実質GDPで約5.9%のマイナス成長、失業率はほぼ倍増して7%台に達しています。通貨の暴落は、為替の数字だけでなく、人々の暮らしそのものを揺さぶりました。(メキシコ国内に潜むこうしたリスクの構造はメキシコペソの国内リスクでも整理しています)

「テキーラ効果」:隣から世界へ広がった揺れ

この危機が「テキーラ」の名で記憶されているのは、その揺れがメキシコ一国にとどまらなかったからです。

メキシコの混乱を見た投資家は、「同じように経常赤字と短期債務を抱えた新興国は危ないのではないか」と疑い始めます。その連想から、アルゼンチンやブラジルといった遠く離れた新興国の通貨・市場までもが売られました。この伝染は、テキーラを飲んだ後の悪酔いになぞらえて「テキーラ効果(テキーラ・ショック)」と呼ばれます。一国の対米連動リスクが、新興国全体の信認問題へと広がった――新興国通貨が「ひとまとめに」売られる怖さを、世界に印象づけた出来事でした。

いまのペソは、あの頃とどう違うのか

ここまで読むと、ペソが恐ろしい通貨に思えるかもしれません。ただ、公平を期すために強調しておきたいのは、いまのメキシコは1994年とは構造が大きく異なるという点です。

第一に、ペソはすでに変動相場制です。市場の需給でレートが日々調整されるため、「固定を守りきれずに一気に崩れる」というテキーラ型の崩壊は起きにくくなりました。第二に、危機を教訓に中央銀行(Banxico)は独立性を高め、インフレ目標にもとづく金融政策を運営しています。第三に、当時とは比べものにならない厚い外貨準備を積み上げ、テソボノスのような「実質ドル建ての短期債務」への依存も大きく減りました。近年のペソが新興国通貨のなかでも比較的底堅く推移してきた背景には、こうした構造改善があります。

とはいえ、ペソにとって「対米連動」が生命線であり続けている事実は変わりません。米国の景気、金利、そして貿易政策――いまであればUSMCA(NAFTAの後継協定)の行方が、ペソの運命を大きく左右します。仕組みは変わっても、ペソが「隣の大国しだいで動く通貨」であることは、30年前も今も同じなのです。

結局、テキーラ危機から何を学べばいい?

テキーラ危機が教えてくれるのは、対米連動という強みが、条件しだいで最大の弱みに反転しうる、ということです。NAFTAへの楽観が海外マネーを呼び込み、固定相場と実質ドル建ての借金がその楽観を支え、そして政治不安をきっかけに、その全部が逆回転しました。強みと弱みは、しばしば同じコインの裏表です。

いまのペソは、当時よりずっと頑丈な足場の上に立っています。だからこそ、目先のニュースに一喜一憂する前に、「これは対米連動のどちら側の力なのか――追い風か、逆風か」を落ち着いて見分けることが大切です。テキーラ危機の記憶は、次の危機におびえるためではなく、ペソというこの通貨が何で動くのかを、根っこから理解しておくために役立ちます。

ペソという通貨の全体像をあらためて押さえたい方は、メキシコペソ(MXN)とは?もあわせてどうぞ。魅力と弱さの両面を知ったうえで付き合うことが、この通貨と長く向き合うための出発点になります。